雑記3

今日はいつもより早めに起床。
珍しく夢を見た。子猫を飼って可愛がる夢だ。
多分、何かしら意味があるだろう。

朝起きて、インターネットで映像の世紀を見る。資本主義とグレートファミリーの支配について。
歴史は繰り返されるもので、自分達の現在地と歩いている先のことを知りたければ歴史を学ぶべきである。
歴史は繰り返されるが人間は中々学習しようとしない。

淫夢動画を見る。面白い。
12時頃に出かける。
歩いて河原町まで、大体一時間半くらいはいつも歩いている。
沢山、歩くのは良い。これは習慣にする。
鴨川沿いは犬や猫たちで賑わっている。
彼らは幸せそうである。
生まれ変わったら大きな犬になりたい。

今日の見たからだ昼はファーストキッチンの五穀スープを食べた。
隣に座っていた小さな女の子がひたすらサラダを頬被っていた。可愛かった。

タリーズコーヒーは我が拠点である。
ここに来ると落ち着く。
そこで、天才について思いを馳せる。
エリクソンだかの「天才の心理学」と談志の「狂気ありて」という本が気になる。
天才には狂気が付き物だからである。

レコードを探しにいく。
ミレニアムの「BEGIN」が欲しくて探すが、売れ筋らしく中々見つからない。
ジェットセットという店に置いてあるのを購入した。レコード探しはハマりそうだ。

地下鉄で家に帰る。
帰る頃にはもう暗くなっている。
歩いて帰る途中、もし、自分がほんまでっかTVに出たらという事を妄想していた。
結構これが面白く想像できる。

家に帰ると、早速「BEGIN」を流す。
やはり良い。
少し想像と違ったが、これはこれでありだ。
レコードのコレクションをしよう。

宝くじの換金を忘れたが、まあよい。
当たる頃に天が教えてくれるだろうと思う。

ほんまでっかTVを見る。この番組は好きである。しかし、少し飽きが見えはじめた。
そろそろ、別の新しい番組とかを見ようか。

勉強を少しする。面白いし、結構捗ってきた。
勉強と日記、ウォーキングは習慣化する事にする。
楽しく続けて、高いレベルまで行く。

もうそろそろ寝よう。
明日も勉強はする。そして、歩こう。

雑記2

今日はいつもより遅く起きた。
14時30分頃だ。
いつもはTVが自動でつくから、起きるのだが、設定を変えていたので、起きれなかった。
そして、こういうときに限って、携帯の電源も切れているものである。 

何はともあれ、起きてすぐにシャワーを浴びる。これは習慣である。
起きてすぐに笑えるTVをスマホYouTubeで見るのもそうである。

今日は掃除や、溜まっているやるべき事を消化しようと色々やった。
まずはある程度片付けをしてから、原付の名義変更に行った。区役所の位置を漸く覚える。

手続きは意外と早く終わった。5時ギリギリにいったので、少し間に合うか心配だったが、特に問題はなかった。
唯、譲渡して貰った人の生年月日と電話番号を、確認して、区役所の人に伝えないといけない。
月曜日に電話する必要がある。

手続きの後に、北大路のビーブルに行った。
昨日見たゴッドファーザーの事を思い出しながら、始めて入るハンバーガー屋で飯にした。
ハンバーガー屋の店員が結構かわいかったのが、今日よかったことの一つである。

家に帰ると、洗濯と家の物の整理をした。
やることはあらかた片付いたので、次は休学手続きを早めに済ましておこう。
また、月曜日に行って手続きする。

意中の子からLINEがくる。この子も俺の事が好きなのだろう。

ほんまでっかTVで色々、良いことを聞く。
期限の良いときは能率的に仕事がこなせる。集中力も上がる。
期限の悪いときは記憶力とクリエイティビティが上がる。
生活改善と女性が好きな人にとる態度など。
面白いし、役に立つTVだ。

風呂に入って寝る。
明日は歩いて四条までレコードを見に行く。
それと臨床心理士になる勉強を進める。
勉強と歩くことはゆくゆく習慣化する。
以上。

雑記

今日は朝の11時頃に起きた。
いつも通り、朝のテレビの音で起こされる。

昨日買ったポテチが朝飯がわりだ。
特にすることもないので、YouTubeほんまでっかTVを見ていた。
最近、よく笑うようになっている。よい傾向である。

15時半過ぎにカウンセリングに向かう。
天気が芳しくないので、歩くのは止めて原付で向かう。
いつもと違う道を通った。原付で飛ばすのは健全な恐怖があるので良いと思う。

カウンセリングで一時間ほど話す。
他人と話す機会は最近なかなか作れていないので、貴重な時間である。
自分の事を話す。自分はどういう風に死にたいかなど。
死に方はもうすでに決めている。
今は上がるときであると再確認する。
衰退の仕方、消え去り方はもう覚悟している。
今は種を蒔いて、花を咲かす時期である。

ブックオフによるが、ほしかった本が悉く無かったので、「君たちはどう生きるか」という昔読んだ本と、羽生善治の「直感力」という本を買った。

帰りにガストでそれを読む。自分でも驚くほど集中出来た。めんどくさがらずに何でもトライしてみる事だ。

ゴッドファーザーPart2」を見る。昔はよくわからないまま観ていたが、今では大体理解できるようになっていた。
やはり、最後のアル・パチーノの表情がこの映画の全てであると思う。

意中の子から連絡が来る。
彼女が好きだから、お互いに愛し愛される関係になろうと決意する。

明日はくじを換金して、名義変更をしに行く。
日記は毎日書いた方が良い。これは習慣にする。

嫌だ。

嫌な気持ちを抱えていることを自分は自覚している。
映画が引き金となった。「アメリカン・スナイパー」を見たからだ。
この映画の精神描写がとてもリアルだった。
自分でも原因がわからずにイライラして、気が変になっているのに、心の何処かに妙に冷静な部分がある。

自殺を企てたことを思い出した。胸が苦しくなる。生命の危機は個体の消失への恐怖である。
いまは、俺は安全で安穏な生活をしている。
なのに苦しい。

これは好転反応だと思うことにする。
俺が自殺しそうになったときに、支えてくれた子達の顔が浮かぶ。
生命に俺は感謝している。
生きている事に俺は感謝している。
神や仏が存在するのなら、それは自分の心の中にいると信ずる。

生きなければいけないというのも強迫観念の一種ではないか。
しかし、俺はまだ死ねない。

悪人

どんな事にも理屈はつけられる。
人を殺そうが、物を盗もうが、強姦しようが、正当化はいくらでも出来る。

この世には許されていない事など無い。許さないのは自分の中の何かである。
それを義憤とか正義感とか、勝手に名前をつければ矮小な自分も簡単に聖人君子になれる。

嫌だなぁ、と思う。
自分という小さな器から抜け出したいと思いながら、それすらも我欲のように感じられるのである。
いっそのこと悪人になれれば楽であろうなと思う。

震災の復興予算12億円を私利私欲のために使った岡田栄吾のニュースを見たときに、彼の自己正当化を微塵も憚らないその態度に、自分はある種の羨望を抱いてしまった。

こうはなりたくないけど、これだけ好き勝手出来たら人生楽だろうなと考えてしまった。
義憤とはある種の嫉妬心かも知れない。
ちなみに自分はああいう恥知らずが最も嫌いなのである。

アリストテレスを読む

世界の名著シリーズの「アリストテレス」を読んでいる。
自分の印象としてアリストテレスは、現実家、客観的、自然科学的な思想の人といった感じがする。
まともに読んだことが無かったので殆ど偏見である。

いつものように、最初の解説から順々に読んでいる。
以外とこれがボリュームがあって読みごたえがある。

50ページほど読んで、特に印象に残ったのが、形式と素材の話である。
形式とは秩序、ルールなど物の連続性を象徴するものといったら良いだろうか。
素材は構成する要素のことである。

怒る人達

世間や常識というのは料簡の狭いものだ。
実生活でも、ネットでもそれは良く感じる。
そもそも、度量のある人なんてどれくらいいるのかわからないけれど、人と接する仕事に着いていたら、度量の狭い人は思った以上にいるものだ。

コンビニで大した事でも無いのにクレームをつける人とか、小言を言うことが仕事であると勘違いをしている先輩・上司とか、怒っている時間が労力と時間の浪費だと自分は思うが、その人達のスタンスを否定したところで、こういう人達が存在することは事実だし、上手に付き合っていかなければならないのである。

自分はあまり、店員に怒ったりするような人達の感情はわからない。
何故なのか、怒っても無駄ではないか。唯、感情の発散がしたいというのは何と無くわかるのだが、それなら、もっと良いやり方があるではないか。
周囲の人に不快な感情を撒き散らすのにどんなメリットがあるのか。
人間も文明も完全ということはない。お互いにお互いの至らないところは許しあう方が、よっぽど住み良くなるはずだ。
純粋に疑問ではあるが、そうなるのにも理由は必ずあるはずである。

他人を攻撃せずにはいられない人は、そうしないと自分を守れないからではないかと思う。
自分を攻撃しないではいられない人もいるが、自責的な人は周りにとっては良い人でも、自殺に走ったり、良くても精神的な病に掛かったり、環境が悪ければ生き残っていけない。
他人を攻撃する人はそうすることが一種の生存戦略として、働いているんじゃないだろうかと、自分は思う。