悪人

どんな事にも理屈はつけられる。
人を殺そうが、物を盗もうが、強姦しようが、正当化はいくらでも出来る。

この世には許されていない事など無い。許さないのは自分の中の何かである。
それを義憤とか正義感とか、勝手に名前をつければ矮小な自分も簡単に聖人君子になれる。

嫌だなぁ、と思う。
自分という小さな器から抜け出したいと思いながら、それすらも我欲のように感じられるのである。
いっそのこと悪人になれれば楽であろうなと思う。

震災の復興予算12億円を私利私欲のために使った岡田栄吾のニュースを見たときに、彼の自己正当化を微塵も憚らないその態度に、自分はある種の羨望を抱いてしまった。

こうはなりたくないけど、これだけ好き勝手出来たら人生楽だろうなと考えてしまった。
義憤とはある種の嫉妬心かも知れない。
ちなみに自分はああいう恥知らずが最も嫌いなのである。