徒然

何を思い、何を考えているのか、自分でもわからない時がある。
しょっちゅうである。
今、何を考えているのか?
今、何を思っているのか?

思考の主体である俺自身が疑念を抱いているのだから、他人にはわかるはずもないと、俺は良く考えていた。
要するに現実感が欠如しているのだ。
過去や将来や現在が実在している、もしくは実在していた、これから現れる予定だ、という事が本当なのかという懐疑が自分の中にある。

本当という言葉には大分苦しんできた。
何が本当で、何が偽物なのか、本当の定義とは?
それも定かではないので、自分はあまり考えないように現実らしきものに目と思考を向けることで、その懐疑を忘れようとしてきた。

しかし、ふと思い出してしまうときがある。
目の前の現実が本当なのか?
何を信ずれば良いのか?
自分の中に答えのない懐疑のままで、ずっと残っている。
何故、何故、身の程を知らない問いだと自分でも思う。
何故生まれて、何故死ぬかなど、誰も明確な答えを持ってはいないのだ。
答えの出せない問いに無理やり答を出して、生きていくのが賢明なのであろう。

しかし、俺みたいな劣等生も世の中には存在するのだ。
何故のままで立ち止まってしまうような人間が、だ。
深く根差した欲求がある。
何故、俺は俺でなければならなかったのか?此に対する答えを得たいという欲求だ。
いつかわかる日が来ると信じているが、恐らくその日は俺が死ぬ日ではないかと思う自分がいる。

怖いが。
俺の好奇心と矜持が此に対する探求を止めることを許さない。
その日が来るまでは、歩く。